その頃の私を支えたもの
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働いているのにただただお金の減っていく生活をどれほどの人が経験するでしょうか。
贅沢をしすぎるなら自業自得、詐欺師に騙されたなら愚かさを悔いたりもできるでしょう。(そんなばかりじゃないのにと思われる方がきっといらっしゃると思います、ごめんなさい)
私は自分の身に起きたことをただ受け入れて生きるしかありませんでした。
私自身は高給取りではないものの小さな会社の正社員でずっと働いていて、私の生活自体は何食わぬ顔(当たり前ですが)でごく普通に暮らしている人に見えていたと思います。それは今でもそうです。
こじんまりした家に住み、中古の軽自動車に乗り続ける私は堅実にも見えるでしょう。それは悪い意味ではなく時々指摘されることもあります。
負け惜しみみたいですが、清貧という言葉はもともと私の中にあったものだと思っています。本当のところは、裕福でありながら堅実に暮らす人にあこがれを持っていたのですけど。私が人並みの(以下でも)収入のある家計を任されていたなら老後に大きな不安を感じることはなかったのではないかといつも思っています。
娘はその清貧を理解できる子供でした。必要か否かの基準を早くから持ち、そのことで私はずいぶん救われたと思います。彼女は大人の私から見ても思慮深く、その判断は時には私の考えの上をいくこともありました。 もちろん今になって申し訳ないと思うことも多くあるのですが、その渦中にあったときは彼女への負い目を感じることが少なかったのではと思います。 私が苦しみながらもそこを生きることができたのは彼女のおかげだとも思っています。私だけは娘に恥じないように生きたいと思っていました。そして彼女が幸福に生きられる道だけは作りたいと願いました。