習い事に救われたこと
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小学校で英語が必修化されるがどんな授業なのか、また効果がどうなのかとても興味がある。そのカリキュラム、長い間机上の勉強だけはして全く話せるようにならなかった私としてはこれからでも試してみたいと思うくらいだ。
必修化に備え、民間の子供向けの塾や教材の勧誘も多くなっている。親の悩みも時代により変化するものだな。
習い事についてのこと。娘が小5の頃だが私の子育て上、青天の霹靂と言えるようなできごとがあった。
ここにも時折書いてきたが、娘のことでの悩みは全くといっていいほどない生活してきたのだがそのときの娘がその年齢での可能な限りの表現で伝えてきたことがある。
「いじめや仲間外れは相手にとっても自分にとっても何もいいことはない。それが楽しいという気持ちがどういうものなのか全く理解できない。この人は違う、と思った人までもだ。あまりにもみんなが同じで、自分がおかしいのではないかと思えてくる。どうにかなってしまいそう。でも、自分は変われない」
「同じ場所にいても得ているものが違うと感じる。」
「ひとりになりたい」
いじめを受けたというのではない。自分の時代にもしっかりした同級生というのはいたし、周囲より大人の考えをする子だと言うのは早いうちから感じてはいたがそれが本人の苦しみや自分の悩みにつながるなどと思ったことはなかった。
本人の気持ちは痛いほど理解できたが、大人びていても大人ではない。「人間ってそういう醜いとこあるからね」などで終わらせたくはない。本意でないのに周囲に迎合するなどしてほしいはずもない。その年齢の子供にあげられるアドバイスというのが見つからなかった。
相談と言うのではなくなんとなく知人にその話をしたら「贅沢な悩みだ」と流されてしまった。苦しむ娘を目の当たりにし、心の中を知っている私にしかわかるはずもないことなのだ
答えがあるのか、あったとして1つではないだろう。でもその1つですらみつからない。晴れない表情で登校する娘が心配だった。
「ひとりになりたい」
「ひとりになってみる?」
「うん!」
武道場に通い始めた。練習時間の長い部活やピアノもある。でも、それに賭けたい思いもあったのだろう、やりたいと強く望んだ。週2回、大人に混じって稽古を続けた。
みるみる元気になった。根本の問題は変わらなかったはずだが新しい軸が自分の中にできたのだと思う。
今に至るまで形は変えつつもずっと武道を続けている。都会の習い事は費用も田舎とは違うようだが3食自炊の一人暮らしも苦にせずに自分らしく生きている。