新婚さんがまぶしかった
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我ながらだけど
私はあまり人を妬まない方だとは思う。
夫が生活費を入れてくれないとき、そして貯金が本当のゼロに近づいたときが何度かあった…その時は、当然夫への憎しみやいら立ち、絶望感こそ大きかったけど、どうやりくりしようかという必死な気持ちがほとんどだった。夫と離れても住宅ローンの支払いはついてくるし、何より娘の教育が最優先だったし、私はこの人生を生きるしかないことは確かだと思っていた。
健康な体を持った人間が毎日働いているのに持ち帰るお金がない、ってありえないその矛盾とともに数十年を生きてくる間に自分の心が傷つかないように、気持ちの向きをずらしていたのだと思う。
そして娘は大学を卒業し安定した職に就き、滞ったこともあった住宅ローンのふもとが視界に入ってきた。
だけどこの最近その心持ちが少し変わってきた。
過去に戻ることはできないけど、これでよかったのかとかこれでいいのかの葛藤でどうにも心が落ち着かない。
ほかの方のブログを読んでいると、変人のご主人(心当たりのある方、ごめんなさい)を持つ方はいるんだとは思う。その耐え方はさまざまで、自分だけではないのだと励みにもなる。
だけど耐えることの意味ってなんだろう。
少なくとも私は耐えることでより良い人間になっているだろうか。やはりそうは思えないし、そうでない生き方をした自分に会いたいくて寂しくなってしまう。
昨日はじんわりと悲しくなる出来事があった。
新婚の女性と話す機会があった。
ご主人には転職の夢がありそれには費用がかかるので節約して貯金を頑張っている、そして自分は30代半ばの今まで仕事も遊びもやりたいことはやってきた、自分のこれまでに悔いはない、これからはご主人の夢の実現を自分の夢として働いて貯金をするのだと。ご主人の夢というのは現実的かつ夢のある夢だった。すてきなご主人なんだと思う。
うらやましかったな。
雇われていることが嫌いで、自分の能力を過信、なんの準備も相談もなく転職でなく起業を選んで失敗を重ねていった夫。その間軌道修正したり出直したりする謙虚な心があれば返せないお金を借りることなどなかった。
夢の後押しをしたくなるような夫なら、私も生き生きと働けただろうな。
長く生きると家族の死や病気やそれなりの金銭問題などそれなりに個々の苦労を経験するものだとはわかってきた気がする。
だけど瞳を輝かせて未来を語る若い人の姿は私にはまぶしすぎたかな。
「すてきなご主人に出会えてよかったね」
この言葉は本心だったのに。
うらやましいなって思ってごめんね と思った。